文学碑の除幕式に出席するため相生を訪れた佐多稲子さんは、若き日の思い出の地を訪ねて相生の町を歩きました。
相生と「素足の娘」について 佐多稲子
相生はなつかしい。父が播磨造船所の社員であった。その父によばれて私が東京から相生へ移ったのは1918年、14歳の少女のときである。相生は、造船所の活気にともなって、急速に展がりつつあった。そんなときの生気あふれる雰囲気のこの町で、小女の私は、ものこころつく娘へと育っていったのである。私にとってのこの時期は、わが息吹きさえ慕わしく、すべてが新鮮であった。だから相生の風物と、そこで出会った人々は克明に私の胸に残り、今もなお、故里なつかしさに似た思いのかかる町なのである。実際にまた、私の長女は那波で出生した。彼女にもその生地を見せてやりたい。
「素足の娘」は、私のこの相生のときを描いている。1940年の作である。春に目ざめてゆく娘をわが回想のうちにとらえようとした。いわばそれが私の相生への思慕によっていた。従ってこの作は、ひと頃まで作者の自叙伝かと読まれてもきたのである。この文章は、相生に直接関わるから、明らかにしておかねばならないのはそのことである。この作は事実そのままの自叙伝ではない。作中の終りに向かってその娘の出会う人生的な経験は、小説として作者のつけ加えた虚構なのである。実在と虚構を入れまぜているから、虚構は事実として読まれ、そのために、描いた人に計りがたいほどの深い迷惑をかけてしまった。
このことについては、今までにも何度か、事を明らかにする文を発表してきたが、ここでも改めてそのことを証しておきたい。作家の勝手な創作によって実在の人を傷けた罪は、釈明のできることではない。自分の罪を深く心の内におく。
このたび、相生ライオンズクラブの二十周年記念として相生に、この「素足の娘」の碑が建つ。ありがたいことであって、相生への私の思いはまた重なる。
安岡明夫氏の制作されたブロンズ・レリーフが美しい。これらのこと共に、「素足の娘」の作者としての私の仕合せである。この碑を建てて下すった相生ライオンズクラブの皆様と、いろいろお世話を頂いた相生市に厚くお礼を申上げる。
1983.10.16 相生ライオンズクラブニ十周年記念
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