廃村から50年を機に関係する史資料をもとに三濃山に展開した古代から現代に至る多彩で豊かな歴史を紹介しました。また、小栗栖健治先生(播磨学研究所所長)を招き、「三濃山の歴史と伝説」と題し、講演会を開催しました。その他、関連事業として、拡大歴史講座、史跡めぐりを実施しました。
歴史民俗資料館所蔵の古写真と残された祭り屋台の部材の展示を相生市文化会館扶桑電通なぎさホールでおこないました。これまで屋台の空白地帯と思われていたあいおいですが、かつて市内の数地区で屋台練りが行われていたことを知ってもらい、民俗文化財の価値と継承の重要性について考える機会となりました。併せて関連事業として拡大歴史講座「あいおいにもあった 祭り屋台」を実施しました
『甲崎古墳測量調査報告書』発刊を機に、等古墳の特色と価値を知ってもらい、展示を通して、文化財保護の機運を高め、ふるさと意識の向上をはかりました。また、同時期に築かれた西播磨の前方後円墳を紹介するとともに岸本直文教授(大阪公立大学)を招き記念講演会を開催し、当時の歴史的動向を考える機会としました。
歴史民俗資料館が所蔵する絵葉書等を相生市文化会館扶桑電通なぎさホール2階展示コーナーで展示し、あいおいの100年を振り返りました。また、相生市歴史研究会の松本恵司会長を講師に迎え、拡大歴史講座を実施しました。
開始から100年を迎える相生ペーロンを記念して開催し、相生市文化会館扶桑電通なぎさホールで展示を行いました。
特別展関連事業として、相生市文化会館扶桑電通なぎさホールで木内内則氏による復原図展を開催しました。あわせて、ギャラリートークを10月10日に実施しました。
国史跡指定25周年を記念して、相生市立図書館で開催しました。また、相生市文化会館で10月2日(土)に、山上雅弘(兵庫県まちづくり技術センター)をお招きし記念講演会を行いました。
前回紹介できなかった相生南部の貴重な古地図を、文化会館と図書館の2か所で展示を行いました。
相生発展の礎を築いた唐端清太郎の特別展を相生市文化会館で特別展を開催し、広く故人の業績を紹介しました。
新型コロナウイルス感染防止のため、中止となった市内各地に残る獅子舞を紹介することで、郷土への愛着が深まればと企画展を相生市文化会館2階で開催しました。
兵庫県指定文化財の那波野古墳と若狭野古墳とその時代背景を図書館2階の思索の広場で紹介しました。また、9月27日には和田晴吾先生(兵庫県立考古博物館長)をお招きし講演会を開催しました
図書館保管や寄贈を受けた相生村の古地図を、相生市文化会館2階の展示コーナーで展示を行いました。
各地区に残る普段は見ることのできない貴重な古地図を、文化会館と図書館の2か所で展示を行いました。各地区の昔の姿を紹介することで、故郷の歴史を考える機会とし、郷土への愛着が深まればと企画しました。
相生には多数の古窯跡が残され、そこからは、多くの貴重な須恵器が出土しています。普段は目にすることのできない貴重な須恵器を展示し相生の歴史を再認識していただく機会となるよう特別展を開催しました。また、古代窯業ついての見識が高く、『相生市史』の編纂にご協力いただいた森内秀造氏を招き講演会を開催しました。
相生市に初めてできた幼稚園である済美幼稚園が設立されてから100年を迎えます。
この100年という節目にあたり、相生市内の幼稚園の変遷を写真パネル等で展示を行いました。
本市には多数の古墳が残され、そこからは、多くの貴重な須恵器が出土しています。普段は目にすることのできない貴重な須恵器を展示しました。また、須恵器生産や渡来人についての見識が高く、『相生市遺跡分布地図及び地名表』の更新のため、市内の遺跡調査をお願いした岡山理科大学の亀田修一教授を招き講演会を開催しました。
昭和時代の本町商店街の写真パネルや年表、薮谷売店組合・本町商店街で保管していた資料を展示しました。12月2日には、昭和の本町商店街の写真を見ながら、当時の姿を語る座談会(シンポジウム)を開催しました。
図書館の郷土資料室保管の資料や写真パネル、矢野町森の黒獅子の獅子頭の展示、また、黒獅子の獅子見舞いの映像を上映しました。併せて、潮見満英さんの「ぼく画」で描いた市内各地区の獅子舞も展示しました。
※相生の獅子舞の起源については、配布チラシの裏面をご覧ください。大人用6種類、小人用1種類がありますが、裏面の説明はすべて同じです。
相生・天満神社
那波・八幡神社
陸・天神社
佐方・八幡神社
下土井・大避神社
二木・八幡神社
森・磐座神社(小人用)
那波西本町の旧庄屋に残されていた赤穂浅野・相生若狭野の旗本、那波浦の資料群を公開し、当時の那波村の姿を紹介しました。
鈴木商店が相生に進出してから100年を迎えるにあたり、播磨造船所と相生の近代化をテーマに特別展を開催しました。
また、あわせて7月31日に高畑新一氏(鈴木薄荷株式会社常務取締役)を招き、講演会を行いました。
参考資料 鈴木商店による播磨造船所の拡張
京都府立総合資料館が所蔵する東寺百合文書には、8世紀(奈良時代)から18世紀(江戸時代)までの文書が約2万5千通、保存されています。その中に、矢野荘関係のものが多数含まれており、矢野荘に関する重要な文書の一部を展示しました。参考資料
明治25(1892)年、相生村(おうむら)は唐端清太郎を村長として招聘します。唐端清太郎は、大正5(1916)年まで20年余りにわたって相生の行政に尽力し、大正2(1913)年に町制を施行、相生(あいおい)が造船業を擁する近代工業都市へ発展する道を開きました。詳細は資料館だよりに。
特別展「1960年代の相生」は、今回で3回目になります。1回目と2回目は木下充造氏撮影の『わがふるさと』から、「変わりゆく相生」「変わらない相生」をテーマに写真を展示しました。
最終回となる今回は、歴史民俗資料館が収集した写真のなかから「にぎわう相生」をテーマに写真を選びました。
木下充造氏が1963(S38)年頃に撮影した写真集「わがふるさと」のなかから、荒神社・金比羅神社など村々で信仰されていた神社の写真を集めて展示しています。
写真で、池之内荒神社と池之内の集落の間に広がる水田には、現在、新幹線が通り住宅が建ち並んでいます。
木下充造氏が1967(S42)年頃に撮影した写真集「わがふるさと」のなかから、相生駅・境橋周辺など人通りが多く大きく変化した地域の写真を集めて展示しています。
写真は、新幹線が開通する前の相生駅。楠の大木は双葉中学校に移植されています。
今回の特別展「1960年代の相生」で、展示している写真を見て「どこかで見たことがあるような?」と思われた方が多いことでしょう。写真集やパンフレットなどによく採用されているからです。
実は、この写真は、木下充造氏が撮影したスライド集「わがふるさと」の一部なのです。1966(S41)年5月25日の神戸新聞に「ふるさとの姿スライドに 撮影した三百枚を編集」という記事が掲載されています。記事を要約しますと「相生市相生五丁目、木下充造さん(51)=市選管委書記長=が、七年がかりで撮影して歩いたスライド三百枚に解説をつけ、「わがふるさとシリーズ」の前編としてまとめあげることになった。こうした郷土の資料が同市には全然ないだけに貴重なもの。前編が片づけばさらに後編へとふるさとシリーズをつないでいこうと意欲を燃やしている」
この記事によると、1966年前期までに撮影された前編と、1966年後期以降に撮影された後編があることになります。現在、本館には「わがふるさと」の一部であったと推定されるスライドが200枚余り収蔵されています。これまで、このスライドのなかから適当な写真を抜粋して使ってきましたが、常々、木下充造氏が撮影した「わがふるさと」という写真集を復元して展示しなければならないと感じてきました。
このたび、本館の特別展の一シリーズとして「わがふるさと」をとりあげ、何回かに分けて全貌を展示したいと思います。本館収蔵の200枚は、白黒の写真群とカラーの写真群に分かれており、白黒の写真群は1963年頃の撮影、カラーの写真群は1966年から67年にかけての撮影と推定されます。
2013年秋の「1960年代の相生T」では、1966年から67年に撮影されたカラー写真のなかから、鉄道・道路・橋など、私たちがよく目にする風景を選びました。これらは「変わりゆくふるさと」を写したものです。
一方、「わがふるさと」には、神社・仏閣など「受けつがれるふるさと」を写したものがあります。木下充造氏は、狛犬やお地蔵様に造詣が深く、「わがふるさと」の本当のテーマは「受けつがれるふるさと」ではないかと思われるのですが、今回の特別展では荒神社・金比羅神社など比較的小規模な神社の写真を選んで展示しています。
神戸新聞は、「わがふるさと」に解説がついていたと記しています。その解説は、文章と音声があったのですが、残念なことにどちらも発見できませんでした。写真のキャプションは、新しく書きおろしたものです。
「わがふるさと」が撮影されてから半世紀が経過しました。写真を片手に、半世紀の時の流れを感じながら相生の町を歩いてみてはいかがでしょうか。
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