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V曲輪〜(城道)〜南曲輪
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(2)石垣の現状
CV曲輪から南曲輪に至る城道
 図表24に示すような、V曲輪から南曲輪に至るルートがあったと考えられる。現在の山道は、旧状を踏襲しているのであろう。石垣は城道の両脇にあり、北側は防禦線の構えをなし、V曲輪から南曲輪まで連続して築かれていたと思われる。この城道は、岩盤を避けるように、折れ曲がりながら登る。下方に道を作るため、岩盤を削ったと思われる跡がある。道の南側は、南曲輪寄りの部分だけあったと思われる。この平行した石垣の下方にも、犬走り状のものがあり、2段の石垣が築かれていた。
 石垣の高さは50cmから2.0mあり、この城で大きい石が用いられている場所のひとつである。重要な囲居であった証かも知れない。犬走りの下にも、部分的に補強上の土留石垣がある。緩やかな傾斜地であり、防禦の点からも、最も重要性のある石積みであったはずである。
 城道の南側石垣は、高さ2.0m、長さは47.4mが計測できる。当初はもっと長かったと思われる。犬走りも延35.2mあるが、これももっと長かった可能性がある。
 道の北側は南曲輪辺りより26.7mまでに石垣があった。この道が南曲輪に突き当たって左折して北上する大隅の所に、この城で2番目に大きい石が用いられている。幅1.3m、成70cm、重量は1.4tはあろう。(写真29)。
 この城道の下方、V曲輪群の1段目辺りに、高さ1.0mの土留石垣がある。1段目曲輪地滑りで一部埋まっている可能性もあるので、もっと長い土留だったかもしれない。

参考資料1:『史跡赤松氏城跡感状山城跡保存管理計画策定報告書』(以下『感状山城報告書』)

出典:『感状山城報告書』

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