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南曲輪群
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(1)発掘調査の概要
(3)南曲輪群の概要
 南曲輪群は、T曲輪より南にのびる尾根の延長線上にU曲輪があり、それにつづく形で南方向に、先端部では若干東側にまがった状態で、尾根上に南曲輪群がある。
 南曲輪群は、自然の尾根を利用した連郭式の曲輪となっている。尾根部分に6つ削平地を階段状に構築している。全長約60m、高低差25m。その間に6つの腰曲輪をこしらえている。
(2)石垣の現状
B南曲輪群
 ほぼ南北に細長く削平されたU曲輪に続き、南東方向に延びた尾根を、雛壇状に拓いた六つの曲輪から成っている。各曲輪は、東と西の城道に挟まれていたようである。西はV曲輪からのルートと途中合流し、詰口に至ったものと考えられる。石垣の破損が甚大で、この曲輪群の詳細は定かでない。特にV曲輪からのルートとの合流地点は崩壊がひどく、城道の特定も困難であった。詳しくは、今後の発掘成果や縄張り調査を待つことにし、ここでは容易に判断できる範囲の石垣の規模についてのみ記述する。
 1段目曲輪の南は円弧状に造成され、石垣の高さは西端が50cm、最も高い南が1.9m、東端で1.6mと高さを変化させている。岩盤の上にあるので、石垣全体はかなり高い。東端からは北上して、長さ6.0mを平均すると1.0m程度の高さに築く。ここから南方向の眺望は良く開け、麓の里が一望できる。2段目も、土留的石塁が延25.0m、円弧状に据えられている。岩盤の上にあるので、簡単な石積みで済んだのであろう。3段目も東西を円弧状に連続させる。高さは東西両端で1.0m、南中央部分で1.6mある。東側の切岸には、高さ1.4mの整層積の石垣がある。防禦上重要とは思われないが、岩盤がないところなので、曲輪の縄張り上必要であったことが判る。
 4段目の曲輪の石垣も同じような形状に、低い石垣を土留のように積んでいる。石垣は、東の城道まで達せず、東側とともに土壇状である。切岸を支える石垣が、等高線に沿って積まれる。5段目曲輪の南側である。この石垣は高さ1.4m内外で、延長57.6mにも及ぶ。中間の位置に80cm幅の虎口が壊れることなく良く残っている。幅が狭いこと、縄張り上の位置、周囲の石垣の仕様から判断すると、この虎口は、井戸曲輪に行く水門虎口と思われる。あるいは、やむを得ず逃げる時に使う搦手口とも考えられる。埋門であった可能性もあろう。5段目曲輪は、6の曲輪が腰曲輪のように裾を取り巻いている。南曲輪群で最も大きい石垣は低く1.2mほどである。
参考資料1:『史跡赤松氏城跡感状山城跡保存管理計画策定報告書』(以下『感状山城報告書』)

出典:『感状山城報告書』

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