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□相生市の文化・歴史

羅漢渓句碑
矢野町瓜生 羅漢の里
撮影(2010年5月13日)
撮影(2010年5月13日)
撮影(2010年12月08日)
現地案内板
昭和32年4月6日
白扇社矢野支部社中建
 羅漢渓句碑
 「立木如来拝めばすなり秋の声 秋窓」
 「合掌す手に岩苔の露しづく 指月」
 芦田秋窓は大阪の人、虚子と並んで子規門の双璧といわれた人、岡田指月は、秋窓に句と絵を学んだ女流俳人である。
 この秋窓、指月の主宰する俳詩「白扇」の矢野支部会員(水田春香、古澤漱石、石野竹堂、前田天遊、福田静行、別井花圃、石野賀津美ら)が昭和32年4月6日、名勝羅漢渓の地にこの碑を建てたものである。
昭和59年11月30日
市教委・文学碑協会建

『相生と文学碑』など
芦田秋窓と岡田指月
 芦田秋窓は、本名喜三郎といいます。明治16(1883)年2月、大阪に生まれました。絵画の名手であり、俳譜の第一人者でした。芦田秋窓は、小さい時から、正岡子規の門に入り、俳句をよくし、虚子と並んで子規俳壇の双璧と言われました。
 岡田指月は本名幾といいます。明治23(1890)年2月に生まれました。芦田秋窓について、俳画・俳句を学び、詩文にもすぐれ、『灰に書く』などの種々の随筆を残しています。岡田指月は、武庫郡良元村長・宝塚市長もつとめました。

 昭和32年4月6日、句碑開きには、芦田秋窓、岡田指月をはじめ、白扇杜本部からは岩鶴海市、大石蘇石、地元からは寒閑堂(岡田源吾)、野蒜(田中脩治)、士白(芳賀富士雄)、太虚(清水裕之)らが参加して、盛大に行われました。
 以下は、句碑開句会で選ばれた主な句です。
 麓や句碑を前なる野外宴 秋 窓
 麗光を浴びて我句碑立ちにけり 秋 窓
 感激の句碑に涙す花の下 指 月
 わが魂をわけし思ひや花の句碑 指 月
 草に座す句碑の円さや春麗 寒閑堂
 花の蕾末だ固けれど羅漢道 士 白
 囀を自然の楽とし句碑除幕 太 虚
 新しき句碑に映りては消ゆ蝶の影 野 蒜
 除幕して花の句碑とはなりにけり 蘇 石
 名工の手になる句碑や春の風 天 道
 羅漢渓花末だ固し句碑の立つ 竹 堂
 長命水汲みて麓や句碑開き 静 行
 句碑開き両師迎えて麗かに 礎 石
 麗かや羅漢の谷に句碑の建つ 花 岡
 我幸や花咲く里に住居して 賀津美
 供養塔仰ぎて見るや花吹雪 春 香

 秋窓・指月は、大阪を拠点に、昭和37(1962)年6月、主宰する俳誌『白扇』を白扇社から発行しました。
 白扇社矢野支部の社中は、芦田秋窓と岡田指月を度々招いて、俳画と俳句の指導を受けました。矢野に来た秋窓と指月は、いつもゆっくりと泊まって帰ったということです。
 また、寒閑堂(岡田源吾)宅へも隔月ごとに来て、指導にあたりました。

立木如来
 「立木如来」とは、老躯を顧みず25年間単身羅漢渓に籠り、日夕御仏を拝し、境内の美化に奉仕した山本力太郎が、立木に刻んだ如来像のことです。

句の解釈(司波幸作)
 大胆な筆致である。漢字と仮名の大小の変化と調和が印象的、草書のくずし「合掌」「秋の声」は実に息の長い連綿、祈りを続ける合掌の手にポタリと落ちる岩苔の雫、その雫の音さえ聞こえるような清寂の境羅漢、立木如来を拝んだあとのすがすがしさ、初秋の風が心を洗うかのように膚をなでる。清寂と幽玄の境を見事に詠む二つの句、せせらぎはあくまで清く澄みきっている。

竹堂句碑
 「境目は隣もとらず茸開く 竹堂」
 石野竹堂夫妻の長寿を祝っての記念句碑が、真広石野邸の庭に建っています。

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出典:『相生と文学碑』・『相生の文学』

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