相生の昔話

(09)朱膳(しゅぜん)朱椀(しゅわん)

 山家(やまが)の人が、学問をしに京へのぼりよった。同じようにのぼる人があったので
「どこいきだす」
と尋(たず)ねてみたら、
「上洛(じょうらく)します」
という。ははあ、上ることは、上洛というもんじゃな、と思うて、その通り帳面につけた。

 そのつぎに、京から下ってくる人に合うた。また尋ねてみると、
「下洛(げらく)します」
という。ははあ、下ることは、下洛というもんじゃな、と思うて、また帳面につけた。

 またそのつぎに、石屋が、石塔(せきとう)を切りよる。
「それは、何だすな」
「和泉式部(いずみしきぶ)だす」
ははあ、石のことは、和泉式部というんじゃな、と思うて、また帳面につけた。
 それからつぎに、魚売りが大きな魚の頭を、かんご(籠)に入れて、担(にの)うて行きよる。
「それは何だすな」
「ボラだす」
ははあ、頭のことは、ボラかと思うた。

 またそのつぎに、赤いお膳やお椀をたくさんこしらえよる所がある。
「それは、何ちうもんだす」
「朱膳・朱椀だす」
ははあ、赤いものは、朱膳・朱椀かと思うた。
 しまいに、巡礼(じゅんれい)が門口(かどぐち)に立って、
「巡礼に御報謝(ごほうしゃ)ぁ」
とゆうて、チリン・チリンと鈴を振っている。ははあ、物をくれという時には「巡礼に御報謝」というのが、ええんじゃなと思うて、みな帳面につけた。

 家へ戻ったら、子供が柿の木から落ちて、石の角(かど)で頭を打ち、血がぎょうさんでる。医者から薬をもろうてこにゃならんと、いうて、その人が手紙を書く。

 帳面を見て、
 柿の木へ、上洛致(いたし)し候(そうろう)所、忽(たちま)ち下洛致し、和泉式部で、ボラ打って、朱膳・朱椀流れ出で候。薬一服、巡礼御報謝、チリン、チリン、チリン。

注1:「山家(やまが)の人」とは、山村で生活している人の意味です。
注2:「学問をしに京へのぼりよった」とは、学問をするために都に上りましたという意味です。
注3:「どこいきだす」とは、どこへ行くのですかという意味です。
注4:「上洛」の洛とは、漢の古都を模して、京都の雅称である「洛陽」「京洛」を意味します。そのことから、京ることを上洛といいます。
注5:下洛は、京からることをいいます。
注6:石塔、特に法篋印塔を和泉式部の墓といいます。「わらわがすみかも他所ならず。あの石塔こそすみかにてさむらへ。不思議やなあの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるに そもすみかとは不審なり。」(謡曲誓願寺より)
注7:「担うて行きよる」とは、担いで歩いていたという意味です。
注8:「ボラ」とは、成長により名前が変わるので出世魚とも言われます。2〜3センチのものを「おぼこ」・「はく」・「すばしり」と言います。その後成長して、「いな」・「ぼら」・「とど」となります。「とど」は60センチ以上となり、重さも1キロ以上となります。
注9:「こしらえよる所がある」とは、制作している所がありましたという意味です。
注10:「巡礼」とは、聖地を巡ること、聖地を巡る人の意味です。
注11:「門口」とは、家の出入口のことです。
注12:「御報謝」とは、巡礼に物を施すという意味です。
注13:「ぎょうさん」とは、たくさんという意味です。
注14:「柿の木へ…チリン」の意味は、次の通りです。柿の木に上ったところ、すぐに落ちて、石塔で頭を打って、赤いものが流れ出た。薬を一服下さい、チリン、チリン。
挿絵:立巳理恵
出展:『相生市史』第四巻