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□相生市の文化・歴史

国指定文化財
史跡
赤松氏城跡感状山城跡(かんじょうざんじょうせき)
矢野町森(感状山城の東)から見た新緑の感状山城
感状山城の南曲輪から見た南の眺望
感状山城の南曲輪からU曲輪への石垣
感状山城のTの曲輪(本丸)から見た東の眺望(天狗岩など)
  感状山城は、瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に、瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられています。その後、南北朝・室町朝になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武3年(1336年)には、新田義貞軍の進攻に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐がこの城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ、感状山城と呼ばれるようになったと伝えられています。城郭の構成は、連郭式・階郭式の縄張りで、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。
国指定 平成8年3月28日

 『感状山城報告書』によると、感状山城跡の特性を次のように6点に要約しています。
@壮大な戦国山城の典型である。
A本格的な石垣構築が認められる。
B礎石をともなう建造物が存在する。
C空堀が存在しない山城である。
D犬走りが石垣中段に構築されている。
E保存状態のよい城である。

参考資料1:『史跡赤松氏城跡感状山城跡保存管理計画策定報告書』(以下『感状山城報告書』)

現地の地図表示後、「スクロール地図」に切り替えてご利用ください
出典:『相生市史』第四巻・『感状山城報告書』

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